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2013年4月7日日曜日

Lebesgue 積分がよくわからなくて困った話を思い出した

どのツイートか忘れたが, Twitter で誰かが Lebesgue 積分の話をしていた. 学部 3 年くらいで独学で勉強したのだが (物理学科にも関わらず Lebesgue 積分の講義があったが, 結局身につけるためには自分できちんとフォローしなおさないといけない), そのときに困っていたことを思い出した. こんなところで困った人がいる, というのを記しておくのも意味があることだろうと思うので, 我が身の恥をさらしておきたい. ちなみに何故 Lebesgue 積分をやろうと思ったかというと, 量子力学の数学をきちんとやろうと思って, 量子力学の数学的構造を読んだら Lebesgue 積分をきちんと勉強した方がよさそうな印象を受けたからだ. はっきりと言っておきたいが, Hilbert 空間論を学んだところで量子力学が分かるようになるということはない. 理論面をクリアに理解する上では確かに大事なのだが, それなら線型代数を勉強すれば十分だ.

 
Lebesgue 積分というか関数解析全体として, はじめは Kolmogorov-Fomin を読んでいた. 安かったし, 洋書を読んでみたいというのがあったからだ. 詳しいことは覚えていないし, 他にも吉田耕作の Functional Analysis を読んで挫折したり色々な経緯を辿りながら, 結局一番きちんと読んだのは伊藤清三の本だった.

  
今になって思うとかなり間抜けな感じもあるが, この本を読んでいて, Lebesgue 測度以外での議論がどうなるのかよく分からなかった. 測度を取り替えたときどの議論がどう変わるのか, 本のメインの部分はきちんと使えるのかというのが分からなかった. こう書いてしまうと当時の自分の疑問をきちんと表現できていないので, 色々アレだが, 色々な測度に変えたときにどうなるのかという部分で色々ともにょっていたのは間違いない. そこで色々な測度を持ち出して議論するということなので丁度いいかと思って, 確率の本を読んでみた. これだ.


(確率の本として) いい本なのかどうかは今でもよく分からないが, かなりすっきりした本であることは間違いない. 確率への応用が主眼なので, 位相と測度みたいな話はほとんどない. 単調収束定理に主眼を置いた積分論の構成・展開はなかなかいい. 正直なところ, この本を読んでみても結局のところ当時は疑問が解消されなかった. 実際に使いつつ慣れていくことで, いつの間にか疑問は解消されていた, という感じ. 解消された疑問について分からなかった当時のことを思い出すのはなかなか難しい. そもそも疑問自体を曖昧で感覚的なレベルに留めていて, はっきりとさせていなかったことが拍車をかける. 何がいいたいのかよく分からなくなってくるが, 要は分からなくてもずっとやっていると自然と疑問が解消されることがあるので, 「この辺が何かよく分からない」というレベルでもいいから, 分からないことがあるということだけきちんと意識して先に進んでしまうことも大事, というようなことがいいたい.

最後だが, 伊藤清三の本はとてもよい. Amazon の書評では古臭いとか書かれているが, その部分がよいのだ. 昭和の古い教官が「まあそんなあくせくせずに, お茶でも飲みながらのんびりやってみたらどうですか. ところで Lebesgue 積分にはこんな素敵な話があるのですよ. 焦って急ぐことはない. ゆったりやろうじゃありませんか」みたいな感じがある. また議論自体は非常に丁寧で, これで Lebesgue 積分が分からないなら多分何を読んでも駄目なのではないか感ある. 問題はある意味でその丁寧さで, 上に書いたのんびり部分だ. そのせいで本題の Lebesgue 積分の定義に辿り着くまでが長い. ただ, 川又先生の代数多様体論も, 代数多様体の定義に辿り着くまでに 60 ページくらいかかっていた覚えがあるので, ある程度になると定義するだけでも大変になるのも仕方がないのだが.


ただ, 測度と位相の絡みなど, 古典的な数学の綺麗なよくできた部分が書かれているのが, 正に Lebesgue 積分の定義までが長くなる原因で, そして私が思うよいところになる. 私としてはこの辺の話が好きなので, のんびりやってほしいと思うのだが, 昨今の風潮を見ると数学でまで効率を求める雰囲気があるようだ. 確かに無駄に非効率な勉強をさせるのは最悪でそれは断固として反対したいが, ここでの「非効率」はむしろそれが美点となるのだ. 逆に最近の本だとあまり触れられていない印象があるので, 余計にそう思う. 数学科の学生くらいはもっとのんびり数学やってほしい.

   


2013年4月1日月曜日

書評:田崎晴明 熱力学, 清水明 熱力学の基礎


Twitter で何度も紹介しているので, いい加減きちんと書評をまとめておこう. 佐々さんの本は読んだことがないので省略する. 一度話したことはあるが, 講義も受けたことはない. 非常に面白い講義だと聞いているので受けてみたかったとは思う.



それはそれとして書評である. いつも言っているが, 初学者にはまず田崎さんの本を勧める. 清水さんの本は組み上がった理論を整理されきった形で提供するという意味で極めて数学的だ. 物理的な議論は非常に丁寧なのだが, いきなりエントロピーを持ってくる構成からしてもかなりしんどい. 学部上級生から院生の知識の整理には非常によいのだが.

両方の本に共通している良い点は熱力学の位置付け, 重要さをはっきり言ってくれているところだ. その上でそれぞれのアプローチでそれぞれが最良と思う形で熱力学を論じている. 2 冊の間で違うアプローチなのが良い.

端的に言うと, 田崎本は手作りで熱力学を作り上げているという感じだ. 操作的 (力学的) にやっているので, 初学者の取っ付きもよい. 清水本は完成された体系としての熱力学を紹介するという形だ. 一番最初に最も重要な量としてエントロピーを導入し, その様々な姿を明らかにしていく. とても数学書に近いスタイルになっている. 数学書だと一番議論したい部分 (定理や定義) に向けて進んでいくが, 逆にエントロピーという一番重要な量をはじめに出す (ことができる) のが違うが, 瑣末なことだ. その意味で, 田崎さんの本よりもよほど数学的と言える.

田崎本

詳しい内容に入ろう. まず田崎さんの方から. この本と田崎さんは私が自分の専門を決める上でも決定的な影響を及ぼしている. 実際, 修論では田崎さんの集中講義で紹介された Hubbard モデルの強磁性の結果を使って書いた程度である. それはそれとして, この本のよい所は図をたくさん使いながら熱力学を操作的に議論しているところだ. おそらく一番とっつきがいい力学的なイメージを大事にしながら進んでいく. もう 1 つ大事な (しかし突っ込んで考えると難しい量である) 温度を取っているところも大事なポイント. ここで清水本は理論的な完全性をはじめから意識してエントロピーを取っているのだが, やはり温度を使った方が分かりやすい. 温度一定や温度変化がある場合というのがイメージしやすいからだ.

また付録含め, 数学的に議論がクリアなのもいい. (物理的にクリアなのは当然だ.) ときどき学部の低学年で「数学的にいい加減な議論が気にくわない」という学生がいるが, そういう下らない話ではなく, 熱力学では数学的にある程度精密な議論が必要になるからだ. 具体的にいうと相転移だ. 相転移はこの間 Nobel 賞も取った南部さんの業績 (つまり素粒子) でも出てくる話で, 物理学全体で非常に大事な現象といえる. この相転移は熱力学関数の特異性, もっと具体的にいえば不連続性や微分不可能性を使って定義される. 物理だと関数の連続性や微分可能性などはあまり真剣に議論されないが, まさにそこが問題になる. そこをきちんと議論しようと思うと必然的に数学的に精密な議論が要求される場面が出てくる. そうした部分が丁寧に議論されていて, 安心できる. 特に強磁性体の相転移については, 著者の専門どストレートでその経験が十分に反映された出来になっていて, 読んでいて非常に面白い.

清水本との違いとして, 多成分系の熱力学, 特に化学への応用が議論されていることもある. 清水本を読んだ人も, ここだけは別途田崎さんの本を読んでもよいと思う. 高校化学で学んだ内容が大学の物理学科の熱力学でどう料理されるか見てみるという楽しみ方もある.

清水本

田崎さんの本はこのくらいにして清水さんの本の紹介に入ろう. この本ははじめからエントロピーを前面に出して, 理論的な完全性を強く意識している. 田崎さんの本も Legendre 変換を使うことで温度を示量変数 (エントロピー) に変えれば同じく (相転移まで含めた) 完全な議論ができるが, Legendre 変換をかまさないといけないところは難といえば難. しかし清水本はその代償として難易度が高い. 跳ね上がっているといってもいいだろう. Twitter で物理志望の東大の学部 1 年などとも話したが, やはり難しいと言っている. 決して彼が愚かなどというわけではなく, 本当にこの本は難しいが, それだけの内容を扱っているので読破できれば物理の非常の深いところまで見えるようになっているだろう.

この本の特色として物理で理論を作るときの数学的理想化に関する議論がきちんとしているところがある. 例えば熱力学がどのオーダーで成立している理論か, 本来離散的であるはずの物質量で微分するというのはどういうことか, といった疑問にもきちんと答えている. その他にも物理としての熱力学を恐ろしいほど詳しく議論している. 示量変数で議論しないと物理的に不完全なところがあると再三言っているが, それが実際どこでどう問題になるか, ということは例えば相転移の章で詳しく議論されているので興味がある方はそこだけ優先しても見てもいい.

最後に, 終わりの 2 章は圧巻. 相転移については田崎本も十分に詳しくあの本のスタイルで十分に議論されているが, この本はこの本のスタイルで徹底的に議論している. 最終章は修士くらいの学生でないと本当に分からないだろう. 何しろ統計力学や場の量子論との関係を論じている. 場の理論でも相転移が大事ということはここでも議論されている. ちなみにここで出てくる代数的場の量子論はSummer School 数理物理 2013で河東先生が話す内容だ. 河東先生はあくまで数学の人だが, この物理部分に触れられている. ちなみに Summer School 数理物理 2013 の主催者の小嶋先生が脚注で触れられている「小嶋泉氏」だ.

まず田崎さんの本で肩ならし (というと何だか失礼だが) してから清水本にアタックするのがいい. あと, できるなら両方読んだ方がいい. この 2 冊を読めば熱力学については研究者レベルと言っていいだろう. そのくらいしっかりした本なので覚悟を決めて読んでほしい.

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2013年3月13日水曜日

Twitter まとめ:数学の作用素論と数理物理の作用素論


数学の人がいう作用素論と数理物理というか量子力学周辺の作用素論は少し違う. 知っていることについて少しまとめておこう. 私は数理物理というか量子力学, 場の量子論周辺の作用素論の人間であり, 数学側の動きを完全に知っているわけではない. 実際にはもっと色々あるだろうから, 参考程度に思ってほしい. このあたり からはじまる.
作用素論っておもしろそうなにおいするけどいまいちどんなのかわからんぽん 
@yuki_migo 数学の人がいうところの作用素論は有界作用素の話のようですね. 正規作用素というのがありますが, それを一般化したhyponormalとかそんなのを議論したりする模様. 日合-柳の本に多少書いてあります. その他には行列不等式とかその辺も多分作用素論 
@yuki_migo 物理系というか私の周辺の作用素論だと, 量子力学とかその辺の具体的なハミルトニアンの解析をします. 坊ゼミではその辺の話をします
上に引用した日合-柳の本はこれだ.

4 章までしか真面目に読んでいないのだが, 非常にいい本でそこまででも十分に価値がある本だ. 証明も丁寧に書いてあり, とても良い本なので紹介しておきたい.

前書きにもある通り, 作用素環関係の話題はほとんどないがその方面にいくとしても役に立つことはあるだろう. 日合先生の方は実際に作用素環もやっている. Hilbert 空間中心なのだが, 1 章では Banach 空間のこともきちんと書いてある. 関数解析の基本的な定理は全ておさえてあるので, これで関数解析の勉強もできる. その場合は付録もきちんと読む必要があるけれども. あとで書くが, この付録がまた良くできているので付録も絶対に読んでほしい.

2 章から作用素の話に入る. ここからは特に『量子力学の数学的構造』の 1 と重なる部分が増える.

上掲書よりも議論がすっきりしているので, 読みやすいと感じる人もいるだろう. ただポイントとなるスペクトル定理が『量子力学の数学的構造』と『ヒルベルト空間と線型作用素』で違う証明になっている. どちらとも味があるが, 私は『ヒルベルト空間と線型作用素』の, Riesz-Markov-Kakutani の定理を使う証明方が気に入っている. 『量子力学の数学的構造』の方は余計な道具を持ち出さないストイックな感じで, それはそれで良い. 両方勉強しておくとなおいい. あと『ヒルベルト空間と線型作用素』の方は有界作用素の functional calculus に関する議論が役に立つ. これは作用素環でも非常に役に立つ議論なので, これで慣れておくと便利だ.

3 章はスペクトル定理だ. 作用素論の至宝であり, 量子力学への応用上も決定的に重要なのできちんとやってほしい. 『量子力学の数学的構造』では 2 巻にまわっている Stone の定理も一緒に証明されているところがまたいい.

4 章はコンパクト作用素の話だ. 量子統計などで形式的に使うことはあるが, 実際にはあまり使えない. ただ, 一度はきちんとやっておくべき内容ではある. Fredholm 理論は応用上色々なところで出てくるようだが, そういうところでも使える. 超対称性とかそういうところで出てくると聞いている.

5, 6 章は作用素論の進んだ話になる. あまり真面目に読んでいないので書けることはない. ただ, 今, 作用素論で研究されていることの基礎的なところに触れているようなので, そこに興味がある人は学んでおくときっと役に立つのだろう.

そして付録だが, これが恐ろしくいい. Hahn-Banach, Riesz-Markov-Kakutani, Krein-Milman, Stone-Weierstass, Gelfand-Naimark の定理という, 関数解析の至宝とも言える定理が非常に丁寧に議論されている. Riesz-Markov-Kakutani の定理は汎関数が積分で書けるという一連の定理の基礎となる話であり, 証明も込めてきちんと学んでおくべきだ. 「正値超関数は測度である」という超関数論の有名な定理もこれとほぼ同じ証明だ. 他にも確率論で Brown 運動を構成するときにも使える. Krein-Milman は端点集合に関する話で, 作用素環で純粋状態の議論をするときに魂となる.

話がずれまくって『ヒルベルト空間と線型作用素』の書評になってしまったが, よい本なので関数解析の初学者にも最適なので, 興味がある人は是非参考にしてほしい本だ.

それで作用素論だが, 微分方程式関係でも多少「作用素論の結果」として出てくることがある話がある. Sobolev 空間の埋め込み関係で埋め込み写像がコンパクト作用素になるという話があるが, それは上でも少し書いたコンパクト作用素の話になる. 微分方程式で定評のある本, Brezis の本でも Fredholm の択一定理が載っていたので, 使うことはあるのだろう. 微分方程式は不勉強なのであまり言えることはないのだが.

数学の作用素論で行列不等式がある, と書いたが, これは専門書がいくつかある. 和書だと最近出た本で面白そうなのがあったので紹介したい. 買うだけ買ってまだきちんと読んでいないのだが.

行列不等式は量子統計, エントロピー関係でも時々出てくる. 作用素環レベルで無限次元版があったりするのであなどれない.

数理物理というか量子力学の作用素論だが, こちらは具体的な非有界作用素の解析をするのが中心になる. これはやはり新井先生の本を勧めるしかない.
  
議論は恐ろしい程丁寧で内容もしっかりしているのだが, 正直, Hilbert 空間論や関数解析の数学としての入門には向かない. 少なくとも上記 3 冊全部読めば基礎はカバーできるのだが, 関数解析として体系だった紹介はされていないので, 要領が悪い. あくまで量子力学用に特化した内容で, 量子力学のために必要なことをある程度具体的な問題を通して学ぶ本と言った方がいい.

はじめに書こうと思っていたことと大分違ってしまったが, まあいいだろう. 量子力学関係の話については, 3/24 の埼玉大でのゼミ で話す予定なので興味がある方は参加されたい.

2013年3月2日土曜日

書評:数学まなびはじめ 第 1 集 小林昭七



今回は昨年亡くなった小林昭七先生の部分だ. 他の方のと比較して読むと面白い, というところもある. 冒頭部がまさにそれだ.
数学者になった人なら, 小学校の算数 (昔は算術といった) ではクラスで大てい一・二番だったろうから
他の方のを読むと, 必ずしも得意でなかったとかいう記述はよくあるし, 「中学くらいから数学をしたいと思っていたという人がいる一方, 私はそれほど早くから興味を持っていたわけではない」といった記述もある. ちなみに河東先生 は「記憶にある限りの昔から,漠然とは数学者になりたいと思っていた」という話である. Web で明確に書いているから引用しただけで, 河東先生を引いてきた他の理由は特にない.

あと全くの別件だが, これからは算数という呼び方はやめて「算術」にしたらどうだろう. 思わず名前を呼びたくなるような教科名ではないか. 算術と呼ぶようにすれば, 算数を馬鹿にする愚鈍な自称理系もいなくなるだろう. 太古の昔, ファイナルファンタジータクティクスには算術士という職業が存在する. 現代に算術士の復活を望みたい.

FFT はやったことないのでここ で記述を調べてみた.
シリーズに度々登場する「レベル○魔法」にあたるものを繰り出すことができる。 算術ではレベルだけでなく高さ・CT・EXPと、3・4・5・素数を組み合わせ、 さらに算術可能な魔法を詠唱なし・MP消費なしで発動することができる。 ただし、対象は敵味方無差別であり、使用時に誰にかかるかを確認する必要がある。
考えてみればレベルが素数という敵もいたりするのか. Twitter 上の理想の東工大生, 素数レベルの敵が倒せずゲームがクリアできなさそう, とかいうことを想った.

ちょっと面白かった記述があるので, それも引いておこう. 小林先生が中学の頃の話である.
ε - δ を使った収束や連続の定義も何回か説明していただいた. そのとき解ったと思って, 1 里 (4km) の帰り道を歩きながら考えて家に着く頃にはなんだかもやもやしてきて, 翌日もう一度説明していただくということを 2~3 回繰り返したように記憶している. だから微積分を教えているとき学生が ε - δ の議論を 1 回で理解しなくても当然だと思っている.
中学でやったのだからそう簡単に理解できるか, というところはあるが, 小林先生くらいの人でも悪名高い ε - δ に苦しんだ, といえば救われる向きもあろうかと思い, 引用した. 私の場合は大学に入ってから学んだのでまた少し状況が違うが, ε - δ に苦労した覚えはない. 当然ながら中学の頃には知りもしなかったけれども.

一高の頃, ということでやはり戦争の影響を受けた文章が入るあたりは最早お約束のレベルといっていい.
当時は私のように中学 4 年から来た 16 歳くらいのから零戦のパイロットで元中尉というような人までいて, 私などは「昭ちゃん」と子供扱いされた. 日本中, 食糧不足の時代だったから寮の食事はひどいものだし, よく停電するし最悪だったが毎日楽しかった. それが若いということなのだろう.
今の時代の日本で停電といったら文句を言う人がたくさん出てくるだろうから, 時代を感じる. 大学での話に進むが, メンゲという渾名の先生がまた最高に格好いい. これが東大か, 大学か, と思わせてくれる.
あまりにお世話になったので, 教養学部を終了するとき数研の連中が何人かでメンゲのお宅に手土産を持ってお礼に伺ったら, 「こういう物を持ってくるものではない. いまに論文を書いたらその別刷を持ってきなさい」と叱られた. 3 年後, フランスで Comptes Rendus のノートを出したときは一番先に先生に送った.
P143 に写真があり, 4 人写っているのだが, 皆同じような眼鏡で格好も同じ感じで見分けがつかない. 分身の術でも使っているのかと思う. 数学科の話に入ると, 少しずつ色々な人が出てくる. 杉浦光夫, 谷山豊といった名前もある. 何度でも書くが, 東大に行くと同級生から上級生, 下級生までこんな化け物揃いかと思うとつくづく東大に落ちたのが残念でならない.
あと淡中忠郎先生の集中講義の話が印象深いので, これは是非とも引用したい.
淡中先生は Tannaka の双対定理で有名な方だが, 頭の回転の速い先生ではないらしく, 講義の最中によくつっかえられ, 頭の回転の速い学生の方が先に証明が分かってしまうこともあった (その頃は不思議に思ったが, 後にいろいろな数学者に会うようになって, 頭の回転速度と仕事の室にはあまり関係がないことが分かった).
ときどき「頭がいい人」というのが「頭の回転が速い人」という意味で使われることがある. 淡中先生クラスであってもこのような現象が存在するので「頭がいい」という言葉の使い方にはやはり注意がいるな, という思いを新たにした. ただし, 少なくとも今の場合は相手が淡中先生である. 勝手に自分を重ねてしまうと逆に致命傷になりかねないので, 用法用量は正しく守って適用されたい.

このあとも面白い記述が続く. 矢野先生がプリンストンから帰ってくるから矢野先生について調和積分を学んでは, という河田先生からのアドバイスを受けた, という記述に続き, こうくる.
Hodge の harmonic integrals の本は難解で, 当時は de Rham の定理でさえもまだ Weil による Cech コホモロジーを使う簡単な証明が発表される前で, もちろん de Rham の本 Varietes Differentiables も出ていなかった
当時 Morse の理論を理解するのは大変なことで, Morse の本は読みにくく
Milnor の有名な本が出るのは 10 年以上も後のことである
このあたりからは数学セミナーの小林先生追悼号にもいくらか記述がある. そこと合わせて読んでみるのもまた楽しい.

2013年2月17日日曜日

書評:数学まなびはじめ 第 1 集 深谷賢治



今回は第 1 集の深谷先生のところについて書評というか感想を書こう. 冒頭に次のような記述がある.
「数学まなびはじめ」というシリーズであるが, あまり古いことを書くのは恥ずかしい.
ここに注があって, 大学 1, 2 年のころの話は岩波講座「現代数学の展開 1」の月報に書いたとある. 手元には無いが, これも読んだことがある. こちらにはケリーだか有名な位相空間論の本をどう読んでいたか, またその読み方がどう滅茶苦茶だったかなどというのが書いてある. どの本だったか忘れたが「この本のはじめは定義ばかりがずっと続いていて全く面白くないのに, どうしてあんなに熱中して読めたのか不思議で仕方ない」とか「今の私がそんな風に本を読んでいる学生をみたら, そういう読み方はまずいと指摘しているところだ」と言った記述があり, これもまた面白い. 深谷先生ですら学生の頃には本の読み方を分かっていなかったということであり, 何というかほっとした記憶がある. またこのクラスの, 後年優れた数学者になる人でも初学時には変な読み方をしてしまうのだから, 初学者や独学者は適切に導く必要があるとも思うようになった.

本文だが, 冒頭から面白い. こうはじまる.
臆病で大学院に落ちるのが怖かったので, 学部で所属していた東京大学以外に京都大学の大学院も受験した.
あまりこういうのもアレだが, 深谷先生のクラスでも大学院に落ちるのが怖いというか, 院試に落ちる可能性を考えたというあたりにこう色々なものを感じる.
私は, ひねくれた性格のせいか, 難解ということになっているものを勉強したがる癖があり, いまでも直っていない.
注 4. これが悪いことか良いことか, 一概には言えない. 難しくないことは価値がないというのは, もちろんとんでもない偏見で, 数学の定理は証明するのが難しければ難しいほど良い定理だなどというのは真っ赤な嘘である. しかし, 難しそうだというだけで逃げ出すという風潮も, 困ったことであろう.
少し話がずれるが 2 つ想起したことがある. どれだったか忘れたが, 河東先生のページに置いてある Jones に関する文章に, 「Jones の仕事は誰かやっていてもおかしくなったが, それをきちんと取り出してきちんと調べたことに意義がある. 」 というような記述があった. 高温超伝導を引き合いに出し大意として 「ありそうだとは思っていても実際に誰も踏み出さなかったところに果敢に挑んだことが素晴らしい」とあった覚えがある.

さらに話がずれるが, 物理をやっているときに数学的な難しさと物理的な意義は全く関係ない. 田崎さんが統計力学の本で書いていたと思うが, 例えばボソンとフェルミオンの出現に関する話だ. 不可弁別性に関する話で ψ2=1 を解き, そこから ± を取ってボソンかフェルミオンか, という話をする. 2 乗の式を解くだけなので数学としては簡単なことこの上ないが, 物理としては当然決定的に重要なことだ. うるさいことを言えば, 置換群の無限次元 Hilbert 空間上のユニタリ表現とか仰々しく言えるが, こういうことを言うのは単に格好をつけたいだけのアレな人なので無視するか, 線型代数で殴りつけるかしておけばいい.
結局, 私は, 非線形偏微分方程式を使う微分幾何は少しかじっただけで, Gromov 流の Riemann 幾何学に進むことになった.
これも前, どこかで読んだ深谷先生の文章に「Yau の論文はよく分からない凄まじい式が数ページ続いたあと, 誰が見ても大事と分かる定理が書いてあって凄かった」みたいな記述があった気がする. 単にそれを思い出しただけなのだが.

次の記述は修士の学生にとっては「励み」になるのではないかと思う.
そのころの私は自信過剰で, 自分に修士論文が書けないはずがないぐらいに思っていた. それで修士 1 年生が終わりかけ, 「自然に」かけるはずの論文ができてこないと, 焦り始めた. 勉強することと研究することの違い・段差がしきりに意識されるようになった. 修士 1 年から 2 年に移る春休みは, 焦りからほとんど数学ができず, 哲学の本を読んで 2 ヶ月ぐらいを過ごした.
これでついでに加藤先生の話を思い出した. 数学に集中するあまり半裸で街を歩き警官に捕まったという逸話があるが, これは確か修士論文で行き詰まり, 悩みに悩みに抜いていて身なりに気を配る余裕などなかった, という話だったと思う. 一度加藤先生の講演を聞いたことがあるが, Y シャツを派手にはみだしたまま講演していた. 数学しかできない人というのはこういう人をいうのだな, と深い感動を覚えた.
しかし, 結局私も「高貴な」ゲージ理論に惹かれてリーマン幾何を離れることになった.
注 8 それが良かったのかどうか, 最近しきりに気になる.
「高貴な」数学ということに関しては数学者の視点を読んでほしい. どう言ったらいいのか全く分からないのだが, 注のさらりとした一文にこう色々なことを考える.


Floer 関係の話がまた格好いい. 少し長いので特に格好いいと思った一節だけ抜き出して終わりにしたい.
そのような Floer ホモロジーの扱われ方が私には不満だった. Floer ホモロジーが切り開いた無限次元トポロジーの世界は, 4 次元トポロジーと同じくらい豊かで重要なはずである. 4 次元トポロジーへの応用ではなく, Floer ホモロジー自身にこだわってみたい. これが私がゲージ理論, そしてシンプレクティック幾何学の研究に入っていく, 突破点になった.

2013年2月16日土曜日

書評:数学まなびはじめ 第 1 集 竹崎正道

今回は第 1 集の竹崎先生のところについて感想を書きたい. 1-2 集合わせて, 会ったというか見たことがある数学者は 3 人いて, 深谷先生と小林先生は見たことがある. 竹崎先生だけは集中講義の後など何度か実際にお話したことがあり, さらにお酒を一緒に飲んだこともある.



詳しいことは忘れたが, (年齢自体は 1 つ下らしいが) 同級らしい富山先生と先輩を交じえた飲み会でのやり取りは今でも覚えている. 問題ないと思うので, いくつか印象的な言葉を記録しておこう. 無茶苦茶な話だが, 竹崎先生が一流の数学者となった理由として, 富山先生曰く, 「もともと竹崎君はお酒が飲めなかったんだけど, お酒が飲めるようになって彼は一流の数学者になった」というのがあった. 先輩と共に「いや, いくら何でもそれは」と言ったが超自信満々で断言されたことを今でも覚えている. ただ, 竹崎先生の学生でもあり同じく一流の数学者である河東先生はお酒が全然飲めないので, お酒が飲めなくても一流の数学者にはなれることは付記しておきたい. むしろお酒が飲めることと数学者の実力, 全く関係ないのでは, と思うがこの辺について理屈を考えても仕方がないという暫定的結論に達している.

昔のことなので一部記憶が曖昧だが, もう一つ印象的なのは, 本文にも一部書いてあるが学生の頃の竹崎先生の数学に対する姿勢である. 東北大学なので冬は寒い. 暖房もあまり効かない中, 大学で遅くまで殘って数学をやっていたそうだが, 他にも色々と数学を続けていくのが苦しい状況下で何故そこまで数学に打ち込めたのかということを富山先生に伺ったところ, 即答で「そんなの, 数学を愛しているからだよ」と返ってきた. 普段「数学が何の役に立つ」などと散々言われているなかで, 即答でこの答えが返ってきたことに深く感動した.
上で一流の数学者ということを書いたが, 竹崎先生の業績について決定的なものの一つとしては, 私の専門, 場の量子論と量子統計で決定的に重要な冨田-竹崎理論がある. 荒木先生の文章などで時々話にあがるが, この理論の一番基本的なところを最初に出したのは冨田先生なので, 冨田理論や冨田のモジュラー理論と呼ばれることもある. 何故「冨田-竹崎理論」と竹崎の名前を冠して呼ばれるかというと, 理論の中で竹崎先生が果たした役割の大きさもさることながら, 講義録を出版するなど理論の普及のため尽力したことがある. 誰か忘れたが, 幾何の先生から「Connes は竹崎さんの講義録を勉強して作用素環をやろうと思って, あんな結果 (Fields 賞の結果や作用素環における決定的な仕事の数々) を出したんでしょう. そういうのはロマンがあってやはりいいね」というお話を聞いたことがある.

冨田-竹崎理論は数理物理でも決定的に重要なのだが, (数理) 物理学者との共著論文も多い. 例えば Araki, Haag, Kastler, Takesaki の Extension of KMS states and chemical potential などがある. 引っ張ってきた文献は有名な論文ではあるが, 何か特別に意味があるわけではない. 名前に「chemical potential」と入っているので物理関係の話であることが分かりやすいだろうと思っただけだ. 量子統計だけでなく (相対論的) 場の量子論でも冨田-竹崎理論は基本的な意義を持つので, 関係することを研究する場合は必ずお世話になる. 量子統計方面については動画を作った. 興味がある向きはご覧頂きたい.

お酒の席で研究について聞かれたとき, 量子統計をやっているといったら「今となっては地味な分野だけど, そういうことをきちんとやることも大事だね. 是非頑張って研究してほしい」と言われたことも懐かしい. 大学関係者か大学図書館に行ける人でないと手に入れるのは難しいだろうが, 作用素環への入口 も面白い文章なので読めるなら読んでみてほしい.

直接話したことがあるだけでなく, 色々と話したこともある先生なので本と関係ない話が長くなってしまった. そろそろ本題の文章の感想に入ろう.

まず冒頭部を引用したい.
編集部より, 私の数学との出合いについて書くことを求められたとき, あらためて私の数学について振り返ってみました. 私の数学との出合いについて語るためには, どうしても第二次大戦の戦中, 戦後の混乱期の少年時代について語る必要があるように思われます. あの今は遠い昔になってしまった混乱期の体験抜きに私の数学を語るのは, 表面的なものになってしまうことをおそれるからです. 少々風変わりな数学随想記ですが, つき合ってください.
『数学まなびはじめ』の他のお年を召した方々の文章でもそうだが, 戦争の影がどこかしらにあるあたりに時代を感じる.
小学校入学は 1940 年でした. この年は皇紀二千六百年ということで, 特別な年に進学した少国民として, 何かにつけて特別あつかいされました. 皇太子 (現天皇) と同年の生れということもあって, 自分たちは特別な使命をおびているかのように思い込んでいました.
こんなにふうにして, 私は典型的な軍国少年として, 成長していきました.
この中学校は軍人を育てることでも有名でしたから, 敗戦で特攻隊予備軍だった予科練から戻ってきた上級生は荒れ狂いましたが, 先生たちも彼らの心中を察してか, 暴力沙汰も大目に見ていました. なにしろ, 日本中で何もかも狂っていましたから…….
こういう文章が登場する.

中学くらいから数学との関わりに関して大事な記述が出てくる.
前年まで鬼畜米英を叫んでいた先生たちは急に民主主義を説きはじめました. 『民主主義』という名の教科書もひときわ立派な装幀で配布されました. いつの間にか, ひねくれぐせのついた私にはとてもうさんくさいものに思えました.
中略
数学の授業は退屈で, 嫌いでした. 先生が偉そうに教師用裏本からうつし取る黒板の文字, 記号をあくびをしながらぼんやり眺め, 時の過ぎるのを待っていました.
凄まじい時代を感じる. このあとで南原繁の全面講和の話も少し出てくるが, 想像を絶するものがある. 全く関係ないが, 去年あたりに南原繁の息子さんとお会いした. 当然相当のお年だったが, 日本史で学んだことがある人物のご子息に会うというのも滅多にない経験かと思って印象深かった.

このあとの「土田喜輔先生」という節が竹崎先生の転機その 1 になる.
第一回目の授業で, 問題を与えられた私は, 例によってふざけた調子で黒板の前に立って, ふざけた仕方で解答を書いて, 先生にひどくしかられたのが, 出合いの始まりでした. 顔面蒼白になった先生に 「竹崎! お前はおれをなめるのか!」 とつめよられたときは本当にこわかったけれども, 先生は手は出されませんでした. 書き直しを命じられただけで席に帰されました.
土田先生の授業が始まって, すぐ私はこれまでの数学とまったく異質なものだということを感じとりました. 中略 何よりも私が感動したのは, 混乱の中の日本で, 数学を盾に, すっくと立って超然としている先生の姿でした. 敗戦以来, 右往左往する他の教師たちとはまったく違った世界に, 事もなげに真直ぐに立っておられました.
心の支えとしての数学, 実に尊い.

竹崎先生はご尊父が中国に抑留されている母子家庭だったため, 就職などを考えて工学部で進学したという記述がある. それに続いて次のような記述がある.
工学部での生活は, 確かに私が場違いなところにいるという感じを強くさせるものでした. しかし, 鶴丸先生から最初の数学の講義を受けたことは幸いでした. その名の通りやせ気味の身体からくり出される講義に私は酔いました.
多少話がずれるが, 鶴丸先生の名前は別の所で見たことがあった. これを読む大分前に次の本を読んだことがあるのだが, これは鶴丸先生の講義ノートから作ったらしい.

この本にも鶴丸先生の講義は颯爽としたものだったという記述がある. 手元にないので不確かだが, 著者は学生紛争の時代に鶴丸先生の講義を受けたとのことだった. 名講義の影響力は強い.
戦前・戦中の軍国主義, 戦後の民主主義, それにつづいてレッドパージ等々と価値観や理念の動揺をくり返す日本で, 自明なことを自明であると論証する数学の確かさがまぶしく, 感動しました. 難解な証明は, その難解さの故にもっと確かなもののように思えました.
私の心を震わせる文章がこのように続いていく. 大学一年のときに地質のレポートというのがあったそうなのだが, そこの記述もまた凄い.
地質の標本の中に, 研究室は半ば埋っていました. そこで, 地質教室の将来を嘱望されていた若い格子がその 2 年ほど前に南太平洋の火山活動調査中に亡くなったことを知りました. 学問に命を捧げる人は, 昔ばかりでなく, 現代にも, そして身の近くにもいたことを知って厳粛な気持になりました.
ご尊父が抑留から戻り結局数学に進むことになる.
しかし, 何といっても私を感激させたのは, 先生方の学生に接する態度でした. 11 人ばかりの少人数のクラスでしたが, 自分たちと同じ道を歩む者たちの集団として待遇してくださいました. 学生たちが敬意をもって迎えられる教室のあり方に, 私はびっくりしてしまいました. 物資の乏しい時代でしたが, 勉強に専念できるように最大限の配慮がされていることが進学第一日目から感じられました. 小学校入学以来, こんな風な期待と敬意を受けたことのなかった私には, 感激と同時に責任の重さがずしりと身にこたえました.
これは私も覚えがある. 何の実験だったか覚えていないが, 学部一年のころ化学系の学生実験の試問で, 化学か応用科学の試問担当の方に量子力学関係の質問をされたときだったが, 「これは僕もよく分かりませんし, むしろ将来の皆さんにお聞きしたいくらいなんですけども」という言葉が出てきた. いくら物理学科とはいえ, 大学に入って 1-2 ヶ月の学部生に対してだ. 専門家として無限の信頼と期待を寄せて敬意を払ってくれたこととそれに対する感動は今でも忘れない.

最後にまた竹崎先生の言葉を引用して終わろう.
私には数学は自分が自分自身であることを確認させてくれるものでした. 戦時中から戦後にかけての混乱に弄ばれ続けた私に, 数学は確かなものを与えてくれました. 数学に出合えたことに感謝しています. その意味で, 高校 2 年のときの土田先生, 華麗な講義で私を数学へと誘い込んでくださった鶴丸先生, それから教養部 2 年のときに工学部へ進学することに疑問を感じ始めていた私に, 「竹崎君, 君は理学部へ行って数学をやってごらん……」 と皆の反対とは逆に私を勇気づけてくださった勝浦先生に限りない感謝の念を感じております.

2013年2月12日火曜日

書評:数学まなびはじめ 第 2 集 原田耕一郎


前から持っていた本だが『数学まなびはじめ』を久しぶりに読み返したらやはり面白い.

 

特にいわゆる大御所の話は往時が偲ばれる他, 昔のエリート教育の様子が分かりそれもまた興味深い. ある人の追想で別の人が出て来るあたりも面白い. 先日数学セミナーで追悼の特集が組まれた小林昭七先生の文章もある. 個々の話にそれぞれ面白いところがあるので, 気儘に紹介していきたい. 初回は第 1 集の深谷先生でも良かったのだが, 第 2 集の原田先生の回想にする.

何はともあれ第 2 節を読んでほしい. 第 2 節は全文引用したいくらいだが, とりあえず冒頭部を引用しよう.
数学者を志す学生に伝えたいことがひとつあります. 「伝えたい」と言ったのは言葉を選んだのです. 「意見を言いたい」とか「教えたい」とうほど私から強く働きかけているのではありません. 私の言うことを「信じてほしい」というほどの意味を「伝えたい」という言葉に託しているのです.
その伝えたいということは「学生時代 (大学院も含めて) の数年の間になにかで世界一 (世界一のもの知りでもよい) になろうと思いなさい」ということです. ここで「学生時代の数年の間に」というところが大切です. ですから「リーマン予想を解いて世界一の数学者になりなさい」と言っているのではありません. もっともっと身近にあるものでよいし, また勤勉に努力すれば本当に世界一になれそうなことでないといけないでしょう.
中略
食事をしているときも, 通学電車に乗っているときでも, 「どんな小さいことでもよいから世界の誰にも負けないようになりたい」と思い続け, そう思い込むことです. 「そうしなければ, 自分の存在価値はまったくない」と思い込むことができたらもう成功したようなものです.
学生時代にこれを読んで深い感銘を受けた. 自分もやってみようと実際に思ったし, やってみせたとも思っている. 色々あって修士論文の結果を分野の大家である Spohn に聞いてもらったのだが, その中で「Nice observation!」と言ってもらえたことや「その結果は出版しないのか?」と言ってもらえたことは非常に嬉しかった. 構成的場の量子論と厳密統計力学の狭間にある非常に狭い部分で, そもそも世界的に専門家が 10 名ほどいないところだが, 逆にいうなら, 私は粒子-ボソン場の相互作用系の数理物理では世界のトップ 10 に入っていたし, 他にやっている人がいないというだけであっても, 私の修論の結果は今でもここでナンバーワンでオンリーワンのはずだ.

とにかく第 2 節がよいので, そこを読んでほしい. これだけでも第 2 集を買う価値があるくらいだ.

ちなみに原田先生は有限群で世界的に有名な数学者だ. これ (PDF) などを見てほしいが, 26 個しかない散在型有限単純群の 1 つを発見したことは偉大な業績である.

どこがどうというよりも第 2 節が一文一文気に入っているのだが, きりがないので最後の部分を再度引用して終わりたい.
この 25 年ほど一度も開いたこともない私のホールとシニアーの本を取り出してみました. ページを繰って最後にきて, 本当にびっくりしました. この本は自分で買ったとばかり思い込んでいたのですが, 実は数学科の同級生がお金を出しあって私のために買ってくれたものでした.
友人の署名が円型に 13 個書いてあります. 中略 そして落合卓四郎君, 堀田良之君の名もあります. 飯高茂君は「幸福はまず健全生活から, 早寝早起き, 奥さん孝行」と添え, 杉田公生君は「人生に一度位本当に嬉しいと思う時がありたい」と添えてくれました. 秀才のほまれが高かったのに若くして自らの命を断ってしまった新谷卓郎君の署名はしばらくジッと見てしまいます.
(上記引用の) 最後の一文などはむしろこちらがじっと見入ってしまう.

2013年2月6日水曜日

書評:佐藤幹夫の数学


自己紹介のところにも書いているように,最近代数解析を勉強している. その一環として,今回奮発して「佐藤幹夫の数学」を買って読んだ.


ちなみに概要をさらっと頭に入れようと思い,ぱらぱらと眺めている文献は 佐藤幹夫自身による Theory of Hyperfunctions, ITheory of Hyperfunctions, IIと小松彦三郎による佐藤超函数論入門 だ. あと楔の刃の定理の代数解析的な見方に興味があったので「佐藤超関数入門」を買ったのだが 「代数解析学の基礎」にすれば良かったかとやや後悔している.

  
内容を大雑把に言うと, 正に部別の通りで, 佐藤幹夫の半生を語る第 1 部, 佐藤幹夫の数学を語る第 2 部, 他者が語る佐藤幹夫の数学の第 3 部に別れる.

第 2-3 部は佐藤-Tate 予想で有名で数論や概均質ベクトル空間の話もあるが, やはりメインは代数解析の話だ. 私が興味があるのが代数解析なので, そこに集中して話をしたい. 興味があるのは佐藤超関数の定義それ自体だったのだが, それ以外にも「本地垂迹」として 解説がある微分方程式の表現論的考察が面白かった. 私自身の興味があるところは後で書くとして, 本の内容についてもう少し詳しく触れたい.

本を読んでいて, 佐藤幹夫は究極的には関数が好きなのだろうという印象を受けた. どういうことかというと, 超関数自体が関数として自然な形で導入したいという強烈なモチベーションがあること, さらに特殊関数の特徴付けで有名なように, 微分方程式は関数の特徴付けとして重要視している, という感じだった. D 加群の話にしても解を自然に特徴付けるための手法という感じの説明がされていたという印象がある.





D
 加群に関連した話として本地垂迹が出ていたのだが, これが面白かった. 微分作用素の表現論といった趣がある. 表現論への応用があるし, 実際そうなのだろう. まだあまり良く分かっていないのだが. 私の研究では作用素環の表現論が決定的に重要だし, それが元で表現論も好きなのでなかなか楽しい.

また Schwartz の超関数 (distribution) だと「微分のことも積分でやろう」という感じだったので, 佐藤超関数でも同じ感じだと勝手に思っていたのだが, どうやら違うらしい. 該当箇所が見つけられないのだが「昔は微分が簡単で積分が簡単だと言っていたが, Lebesgue 積分以降は 積分は簡単だが微分は難しいとなっていておかしい」みたいな一文があった. 佐藤超関数の文脈で超関数の積分があるが, これは超関数微分方程式を考えて, その解を不定積分と呼んでいる. 興味がある向きは Theory of Hyperfunctions, I の P148 を見てほしい. 正則な関数だと Cauchy の積分定理なり Morela の定理なりで微分可能性と積分可能性が大体同じ感じになる. これもどこに書いてあったか見つけられないのだが, それを上手く使えば (実関数の?) 積分可能性がどうの, というあたりの事情も簡単になるしその方が嬉しい, という記述があったはずだ.

Diagram chasing による議論を見ていて面白かったので, ホモロジー代数の動画を作ると楽しいのでは, と思ったのでその兼ね合いから (ホモロジー) 代数を勉強したくなり, それで改めて勉強していて, 自分は結構代数が好きだということが分かりつつある. それでホモロジー代数の応用としてやはり解析方面から何かあるとより楽しくなりそうなので 代数解析, と単純に思ったということもあるが, もう一つ目的がある.

研究の方で場の量子論での超関数という大テーマがあるのだが, 関数解析的というか, distribution 方面からの超関数という方向で作用素環とその表現論を使った処理をしている. これを確率論 (経路積分) を使って見てみるというのは標準的な別アプローチでそちらも検討しているが, 一方で代数解析的なアプローチは全くないのが現状だ. Curved spacetime 上での相対論的場の量子論でスペクトル条件の代替に超局所解析を使うという議論があり, 代数解析的な話があるので, 非相対論の方でも何か使えないかと思って, そこを少し調べてみたいというのがある. 今のところその方向では話を持ち上げづらそうな感じだが, プロの研究者というわけでもないし のんびりやろうと思っている.

ちなみに作用素環による「場の量子論での超関数」というのは汎関数を上手く使った収束の議論を指している. 手法自体は構成的場の量子論で確立しているが, これを「超関数」と呼んでいる人はみかけない. 何をやっているか分野外の人に伝えるのに便利だから作った, 私独自の呼び方なので, 他の人にいっても通じないので注意されたい.

別件だが, 代数解析は代数的な, 等号の話というか厳密解というか, そんな感じの話が得意なようなので, それを使ってハミルトニアンの固有値の詳細な解析とかできたら嬉しいのだが, そのへんはどうだろうか, とも思っている. 物質の安定性での基底エネルギーの評価だとかに使いたい. 一応, Schrodinger については河合先生の特異摂動の研究があるので全く関係ないということもないはずではある. ただ, 物質の安定性で出てくるハミルトニアンは Coulomb ポテンシャルが出てきて, これが有理型ですらないので, 使うのは難しいのだろうかとも思う.

私の興味ある部分に使える数学は, 微分作用素の解析学としては作用素論が, ある程度代数らしい話があるとすればむしろ作用素環になりそうだ. 研究の方でも何か面白い展開あれば嬉しい, と思いつつ代数解析を学んでいる.

    
Date: 2013-02-01 09:47:49 JST

2013年2月4日月曜日

書評:Simulations' Achille's heel


書評と言っていいかは微妙だが,いい呼び方が思い付かなかったので. Twitter のnishi_akiさんの次のようなツイートを見かけたので読んでみた.
計算機科学の落とし穴 http://www.eurekalert.org/pub_releases/2013-01/s-sah012913.php 演算能力向上で複雑な系を計算出来るように見えても、 適用する理論を間違え現実的に意味のない解を導き出していることがあるという報告。 例えばミクロな系でのみ成立する理論を3次元的に拡張してマクロでの予測をするとか。
適用する理論を間違えるというより,きちんと見たい現象に合わせて理論を選べ,という話といった方がいいのだろうか. あと「ミクロな系~」という部分は少し違う. バルクの性質を見たい場合を考えよう. 単位胞のようなミクロなところだと,例えば表面の効果が強く効いてくる (可能性がある) ので, バルクの性質を見たいならこの効果を消さないと何か問題が起きる (正しく見たい現象が見られない). その表面項処理をせずに単純に計算機を回してはいけない,という話. ミクロな系で成立する理論を使ってマクロなところの計算をしてしまうと,という話とは少し違う.

ほとんど関係ない上に我田引水しまくるが,物理だと (少なくともパッと見) 数学的にまずい議論をして, 物理的に正しい (場合によっては数学的にさえ正しい) 結論を出してくることがあることを想起した.

例はいくらでもあるし,場合によっては,または時代によっては「数学者」ですらそうしたことをする. 良く言われるのは Euler か. 級数の収束を気にせずに計算をはじめて,実際に見かけは無茶苦茶な計算だが 結果だけは圧倒的に正しいというとんでもないことをやっていると評判だ. 彼は彼なりの数学的直観によって正しい道を進んでいて, 彼が現代的な意味できちんとしたことをしなかったのは時代的に そうした道具がなかったからで云々,という話も色々ある. 興味がある向きは高瀬先生の本を読むと面白い. 「dx と dy の解析学」はまだ読んでいないので,そのうち読みたいと思っている.


私の専門に近いところだと掃いて捨てる程あるのだが,例えば量子電気力学 (QED) の摂動計算がある. 「共変的摂動論は数学的には破綻している」ことを主張する Haag の定理というのがある. そのため大体の QED の計算は数学的には破綻しているのだが,数値的には驚異的な精度で 合うことで有名だ.

ついでに言うと,場の量子論の数学的困難の源の一つはここにある. そのうち出るはずの (私も査読に参加している) イジング模型の議論だと, 物理的,直観的な議論をそのまま数学的に厳密な議論に昇華した証明というのがあるし, そういうことができるのが非常に強い. しかし,場の量子論だとそうした物理的に明快な議論というのが数学として 根本的に破綻していることが多いので,そうした筋を辿れず, 物理で既に分かっている結果を再現することを目的に議論を構成する羽目になってしまうことがよくある. また,級数の収束性をきちんと確認して摂動論の結果を精密にする,といったことも大体上手くいかない. 赤外発散が起きる場合,高橋康本第5章で理論物理レベルの議論でもおかしなことが起きるという話が 解説されているので興味がある向きは参照されたい.


ついでなので書いておくと,今でも完全に数理物理先行というか, 数学的に精密な議論からしか物理的な結果が叩き出せないのは物質の安定性くらいではないだろうか. これは数学的に厳密に議論しておいて,あとから物理的,直観的な議論は 物理として重要な部分を切り出す (数学的に煩雑になってしまう部分を除く) という方向で 物理の人に結果を説明するというようなことをするようだ. これについてはSolovej によるレビューを参考にしてほしい. 詳細については下記の本を参照. 今,ものすごい安くなっているので買っておいて損はない.


また少し別件だが,数学的に厳密な議論にこだわっていてもどうしようもないことはあるので, そこはきちんと注意しておきたい. Weil の ユニタリ表現に関する話として平井先生の「線形代数と群の表現 II」23.7 節を読んでおくと面白い.


ローレンツ群 (非コンパクト群) のユニタリ表現という問題があったのだが, 数学的にきちんとした議論にこだわるあまり,なかなか話が進まなかったのに 業を煮やした Wigner が先陣を切って研究を始め,その後を Dirac が追って 研究を深めたという話がある. 1940-50 年代の話のはずだが,このとき相対論的量子力学,または場の量子論のために ローレンツ群のヒルベルト空間表現を考える必要があって,物理的にここを何とかしたいという 強烈なモチベーションがあった. そして数学者がモタモタとして結果を出さないので痺れを切らした物理学者が 切り込んだという話.

物理だと実験との整合性という話があるのでそこを盾にして切り込んでいける. 実際に Wigner や Dirac の話は (少なくとも) 結果は数学的に正しい (部分が多かった?) らしく, 何が起こっているか分かったあとは数学者も研究に参加してきたということだ.

上記の本に書いてあったのだと思ったが,表現論で有名な Harish-Chandra は元々 Dirac の学生だったらしい.

あと上の話で数学者側をフォローしておくと,この頃の数学は無限次元のことが全く分かっておらず そこの研究に関しては非常に苦しい時代だったことを強調しておきたい. 特に物理への応用を考えると運動量作用素なりハミルトニアンなり非有界作用素が バンバン出てくるのだが,これは定義域の問題など面倒な話が死ぬ程たくさんある. Weil クラスの研究者ですら辛い世界だったということで状況をご想像頂きたい. このあたりについては例えば竹崎先生の作用素環への入り口を見てみると楽しい.

2013年2月1日金曜日

線型代数と表現論・圏論

Twitter で 保型表現と Galois 表現 という PDF を見かけた.
中身は数論なのだが, その中で表現論や圏論, 線型代数に関する部分が面白かったのでそこだけメモしておきたい.
数論部分については分からないので, 触れない.


長くなるが, 個人的に面白いと思った部分を引用しておこう.
面倒になったので引用しないが, 3.2 節にも線型代数と表現論ということで大事な記述がある.
興味のある向きはそちらも参照されたい.



より現代的な視点からは, 表現論の重要性は何と言っても理論の線形化にある.
ブルバキはかなり早くから線形代数の重要性を強調したが, もちろん,
必ず体系的に解ける唯一の問題としての連立一次方程式, すなわち完全に信頼できる方法論としての
線形代数の強みは周知の通りであろうから, ここでは圏論的な視点を強調しておく.
線形代数 (体 \(K\) 上の有限次元ベクトル空間の理論) は, 代数的構造の見通しのよい理解と操作のひな型となった.
圏論の方法は, ここの数学的対象 (集合とその元) を直接分析するよりも, それらの間の相互関係,
つまり構造射の集合を理解しようとする.
共通の構造を持った対象の全体 (圏) という文脈の中に置くことによって,
個々の対象の役割, ひいては本質がよく見える, という考え方である.
古典的な数学的結果も, それが対象の具体的な表示の仕方に依存しない結果であれば,
圏の性質, あるいは圏と圏の間の関手の性質として表現することができる.


体 \(K\) を固定し, \(K\) 上のあらゆる有限次元ベクトル空間のなす圏を \((\mathrm{Vect}/K)\) で表すことにしよう.
圏 \((\mathrm{Vect}/K)\) の対象は \(K\) 上の有限次元ベクトル空間であり, それらの間の射 (構造射) は \(K\) 線形写像である.
この圏の対象の同型類は, 次元という自然数の不変量で完全に決まる.
つまり, 同型類の集合から自然数の集合 \(N\) (0 を含む) への全単射がある.
各 \(n \in N\) に対して \(K^n\) (数ベクトル空間) という具体的な対象を構成でき,
これらの対象への同型を決める (基底を選ぶ) ことで任意の対象・射の具体的な表示が得られる.
対象 \(V\) から \(W\) への集合は加法群の構造を持ち,
部分対象・商対象・核・像・余核・余像・準同型定理・直和・完全系列が定式化できる Abel 圏になる.
さらに任意の短完全系列は分解し, 実際あらゆる対象は 1 次元の対象の有限個の直和に分解される (半単純性) .
\(K\) が代数的閉体ならば, 自己準同型射も直和分解 (対角化) されたものと簡単なベキ零元の和に書ける (標準形) .
さらに内部テンソル積・内部 Hom ・双対対象が定義されるのでテンソル圏, とくに淡中圏になっている.
これらの操作 (\(\otimes\), \(\otimes\), Hom, *) の他に, 対称積 \(\mathrm{Sym}^n\) ・外積 \(\wedge\) など,
対象から新しい対象を構成する標準的な操作がいくつか定義できる
(強いて言えば, 対称群 \(S_n\) の各表現に対応するベキ等元に応じて作られる) .
各対象 \(V\) の自己同型群は一般線形群 \(GL (V)\) であり, さらに各対象に最高次形式 \(\wedge^{\mathrm{dim} V} V \cong K\)
(行列式) ・内積・交代形式・エルミート形式などの付加構造を定義した圏を定義することもでき,
それらの圏での自己同型群は特殊線形群・直交群・斜交群・ユニタリ群などの古典群になる.
だいたいこの程度が, 数学科で学ぶ線形代数の全体であり, これで l \((\mathrm{Vect}/K)\) は完全に理解されたと感じられる.
つまり, これ以上 \((\mathrm{Vect}/K)\) に関して解かれるべき問題はないようだ (これは驚くべきことかもしれない) .
この \((\mathrm{Vect}/K)\) の理論 (線形代数) の, 数学を記述する方法論としての威力は絶大であった.
幾何学では位相空間や多様体の圏から \((\mathrm{Vect}/K)\) への関手 (コホモロジー理論) がいくつもの深い結果をもたらし,
空間上の関数の貼り合わせ (局所・大域原理) やベクトルバンドルの理論は,
開集合の圏から \((\mathrm{Vect}/K)\) への関手 (層) として記述され,
微分形式や多様体上の調和解析 (Hodge 理論) などの理論が見通しよく理解された.


さて, われわれのテーマの視点からは, \((\mathrm{Vect}/K)\) とは, 自明な群 \(G = \{1\}\) の
有限次元表現のなす圏に他ならない.
その意味では, 表現論とは線形代数の一般化である.
表現論が, 数学的理論を記述し理解するための言語として機能する所以がここにある.
一般に, 群 \(G\) の, 体 \(K\) 上の有限次元ベクトル空間への表現, すなわち \(G\) の作用が定義された \(( \mathrm{Vect} / K )\) の
対象のなす圏を \((G-\mathrm{Rep}/K)\) と表そう.
この圏の射は, \(G\) の作用と整合的な \(K\) 線形写像 (表現の間の準同型写像) である.
繰り返すが, 自明な群は自明にしか作用できないから, 自然に圏同値
\(({1}-\mathrm{Rep}/K) \cong \mathrm{Vect}/K)\) がある.
そして, \(G\) が有限群で \(K\) が標数 0 の代数的閉体の場合, 上に素描した
\(\mathrm{Vect}/K\) の理論がほぼそのまま \((G - \mathrm{Rep}/K)\) の理論に一般化される, というのが, 有限群の表現論の基礎である.
とくに, 0 と自分自身以外に部分対象を持たない既約な対象 (既約表現) が
既約指標 (共役類の集合の上の関数の空間の直交基底をなす) によって分類され,
任意の対象は既約対象の直和に分解すること (半単純性, あるいは完全可約性) が基本定理になる.
既約な対象はもはや 1 次元とは限らないが, その自己準同型は \(\mathrm{Vect}/K)\) の既約対象
(1 次元ベクトル空間) と同じく定数倍のみである (Schur の補題) .
しかし, この \(\mathrm{Vect}/K)\) から \((G-\mathrm{Rep}/K)\) への一般化によって, 理論の構造的な操作に新たな自由度が加わる.
すなわち, 群 \(G\) を変えるという自由度である.
群準同型 \(f : G \to H\) が与えられると, \(H\) の表現は \(f\) で引き戻すことで自然に \(G\) の表現になるから,
Abel 圏の間の加法的関手 \(f^* : (H-\mathrm{Rep}/K) \to (G-\mathrm{Rep}/K)\) ができる.
とくに \(G\) が \(H\) の部分群で \(f\) が包含写像の場合は \(f^*\) は表現の制限 \(\mathrm{Res}^H_G\) であり,
その左随伴関手は表現の誘導 \(\mathrm{Ind}^H_G\) である (Frobenius 相互律) .
単に一つ一つの準同型 \(f\) による引き戻しを考えるだけでなく, あらゆる準同型 \(f\), さらには剰余群 \(G/H\),
直積群 \(G \times H\) など群の圏におけるあらゆる操作に付随して,
異なる圏\((G-\mathrm{Rep}/K)\) たちの間の関手を考えることができる.
このようにして, 群の理論が線形化される, すなわち線形代数の言語で記述される,
いや線形代数という理論そのものの一般化として理解される.
これが表現論の考え方である.
理論のパースペクティブがより高次になっているという意味で, 表現論は群論に従属するものではなく,
群論を発展させた理論であるという面がある.
これから, 表現論による理論の記述の強みを解説していきたいが, その前にわれわれの興味 (代数的整数論) に
沿った具体的な対象を導入していくことにしよう.


追記


kyon_math さんから次のようなご指摘を頂いた.
触れたことがない正標数の話なので正直全く勘が働かなくて分からないが,
他の方には即参考になる可能性もあるのでメモしておく.
ちなみに これこれ.



@phasetr K が代数閉体でない場合でも, 半単純元と冪零元は定義できてジョルダン分解が成り立ちますね.


@kyon_math @phasetr 群の表現の既約分解については, 有限群であることを仮定した方がいいかも.
有限群の場合, 表現の既約分解は代数閉よりも標数の制約の方が大きい (マシュケの定理).
代数閉でも標数が正だとその表現論は難しい. (still in progress)


あと Maschke の定理は これ.
恐るべし正標数.


2013/02/02 追記
kyon_math さんから さらに教えて頂いた.
あとで読もう.

@phasetr ああ, 吉田さんのだったんですね.
吉田さん, かなりぶっ飛んでるからなぁ (もちろんいい意味で)
駒場中高等部向けのガロア理論の講義録も見っけた. http://bit.ly/XsPy0U
あわせてガロア理論の基本定理について http://bit.ly/Xcw2E5

書評:数学者の視点



今回は深谷先生の「数学者の視点」だ. 滅茶苦茶面白いので, 私の書評など読んでいる暇があるならまずは買って読め, といいたいくらいだ. 私の幾何学への憧れは深谷先生への憧れと言ってもいいくらいにこの本は気に入っているし影響も受けている. 名言も色々あるので, それを採り上げているだけでも楽しい本だ.

まえがきに書いてあるのだが, とてものんびりした調子で書かれている. 深谷先生と一緒に散歩でもしながら語りかけられているような感じで, 何度読んでも楽しい.

数学について良く言われることに対し, 数学者として経験した研究・教育的観点から語られる話は 深谷先生にしてもそうなのかと思うことあり, 分野外の人が語る姿との数学者の実感の乖離といった話もあり バラエティに富んでいる.

Amazon での他の方の書評でも「4 次元が見えるか」という話題について書かれているとあるが, この部分は冒頭で書かれている. 少し引用してみよう.
ポアンカレの『科学と方法』の中に, 空間認識について書かれた部分がある. ポアンカレの結論は, 簡単にいえば, 三次元空間において暮らした経験 (つまり自分が空間内で 運動し, それが視覚や触覚と結びついた経験) が空間認識を作るというものであったように思う. これとカントの先験的認識云々との関係など論じた哲学者もいたようだ. しかしポアンカレがこれを書いた当時, まさしく高次元の幾何学の中心となるべき数学, すなわち位相幾何学を建設中であったということを, 哲学者たちが知っているかどうかは定かではない. 
ポアンカレにとって, たとえば四次元の空間がはたして「見える」のか, というのは, 認識論の問題というより, 高次元の幾何学をいかにして建設すべきか, という実際的問題であったはずである.
こうした数学者から見た見解が真正面から書いてある飾らない文章は, 数学セミナーといった 専門雑誌でなら読むことはできるが, 雑誌に書いてあるだけではあとで参照するのが難しいし, そもそも雑誌自体手に入れるのも難しい. その意味でこのように本にまとまっているというのは非常にありがたい.

ブルバキに関するところも面白い. ファイバーバンドルの定義について下記のような文章がある.
強調しておかなければいけないが, これらは決して複雑な概念ではない. このたくさんの条件の幾何学的な意味は, 明確かつ単純である. そうでなければ, これらがそんなに基本的な概念になりうるわけがない. しかし定義を (ブルバキ流に) 書くと長くなる. そんなわけだから, 多様体の定義をいくら論理的に正確に書いても, 多様体が理解できるわけではない.
ここも結構大事な指摘だ. 良く「数学は論理的に厳密な学問で~」と言われる. そしてブルバキ流の記述は正に論理的に厳密な書き方だが, その書き方で正確に書いたところで理解に繋がるわけではないと, 数学者が 明確に言い切った文章はなかなか見ない. なかなか, といったのは他に少なくとも 1 つ見たことがあるからで, それは飯高先生の文章だ.



上記の本の Amazon のレビューにもあるが「皮膚的理解が大事」と言っている. 手元にないので正確に引用できないが, これも非常に面白い文章だった記憶がある.

深谷先生の本に戻るが, このあとにある「厳密性と理解可能性のジレンマ」という節が 数学者, 少なくとも数学学習者の実感をとても良く表していると思う. 是非買って読んでほしい.

「6. 数学の難しさ」にある「難しくて専門家にしかわからない」という節の記述も良く言われる話だが, 最終部の森さんの話を引いてある部分はやはりプロの数学者の実感のこもった文章として 特徴的で印象的だ.

歴史で邪馬台国がどこにあろうとどうでもいいが, これらの説の比較検討については 素人であっても楽しく読めるのに, 数学でそれをするのが極めて難しいということに続き, フィールズ賞を取った森さんの理論を理論を理解するのは数学者であっても難しいということが書いてある. それが次のように締め括られる.
京都での国際数学者会議での森氏の講演は, 専門家には当たり前のことしか言わないと不評で, 専門外の人たちの間での方が評判は良かった. 自分が心血注いで考えたことを数学者の前ですらほとんど話すことができないのは, まず森氏自身が至極残念に違いない.
これについては数学を学んだ者にはとても実感を持って感じられるのではないだろうか. 学部 4 年で専門に分かれるくらいで, それまで机を並べて同じ事を学んできた 友人間でもだんだん数学的な会話が難しくなってくるのではないだろうか. 私自身は修士から数学なので学部段階での話は分からないのだが, 物理だと本当に細かいところは分からなくても, 何となく人の研究の話も ある程度分かる気はするが, 数学だと同じ研究室の人達の話ですら 理解できる気はしないし, 実際無理だった. 各人がかなり適当に好き勝手にやっている研究室だったので, ある程度研究内容にバラエティがあり, かつ私が物理出身で数学的な知識が 少ないということを差し引いても足りない程度に数学で他人の話を理解するのは難しい.

「8. ダーティー数学」の章も名言が連発されていて滅茶苦茶面白い. 「高貴な貴族の数学とダーティーな庶民の数学」という言葉が出てくる. 本でも強調されているが, ダーティーな数学というのは悪口ではない.

これ以上書いていると全文引用してしまいかねない勢いなので この辺で自重しておくが, とにかく面白いので買って読んでほしい.

2013年1月28日月曜日

書評:数学セミナー 2013 年 2 月号



毎号買っているときりがないので普段あまり買わないのだが,何となく今回は買ってみた. 昨年 8 月に亡くなった小林昭七先生の特集になっている. 気になった記事についてつらつらと感想を書いていきたい.

巻頭の coffee break は「数学者が紙と鉛筆を捨てる日」という記事だ. 数学者は紙と鉛筆さえあればいいというのは本当か,と尋ねられた吉永さんが 思ったことを書いている.

研究活動のコアな部分はもちろんなくてもいいが,研究全体ではないと困る,というところから始まる. 論文書きやら他の研究者とのやりとりでメールを書くなど,そうした部分で PC がないと困る, というところからノートを取ったり,論文を読むのにタブレット PC を使い始めた,という近況を 報告されている.

私も最近タブレットを買って,論文や本を読むのに便利なこともある,という感じだが, ノートを取ったり動画作成補助に使うというところでまだまだ使い慣れない. (無料)アプリの充実も含め,何とか状況を改善してほしい部分もある.

大沢先生による「ポアンカレとの散策」だが,Poincare (e にはアクサンがつく)の不等式について触れられていた. Poincare の不等式は偏微分方程式ではとても大事で,必ず学ぶ. その辺りに関する数理物理でも大事で,下記 BEC の文献では Poincare の拡張について議論があるくらいだ. BEC への応用上,拡張が必要になっているらしい. 私は読みたいと思いつつ全く読めていなくて悲しいのだが.

ここから小林先生追悼関係の記事をの話をしよう. あとで少し書くが,小林先生の写真,大体全部笑顔なのが非常に印象的だった. また皆に愛されたいた感のある記事ばかりだった.

まずは落合先生による小林先生の数学的人生についてまとめた記事だ. 矢野先生は「矢野」と書かれているのに小林先生を「昭七先生」と書いているあたりが萌えポイントだ. 昭和 7 年生まれだから「昭七」という命名だ,という噂は本当だったらしい.
弟の久志の証言によると,この結婚で昭七先生のキャラクターがものすごく変わり, 例えば写真に写る姿は何時も微笑み笑っているようになったとのことであり
という記述を見た上で各写真を見ると本当に笑っている写真ばかり上がっているのに思わず笑った.

幾何が本当に分からないので何とも言えないが,引用されている次の言葉が印象的だった. 引用は適宜中略するので,全部読みたい方は購入してほしい.
微分幾何は,数学に対する一つの見地(view-point)であり,方法である. 微分幾何の存在意義は,新しい見方や,有力な方法を提供する点にあるとと思う. それに幾何学的に意味のわかる概念とか方法は,自然なものだがら, あとで予想以上の発展をみせることが多い.
話が微分幾何という一つの閉じた世界で終わっているようなときには, 良い定理であっても私は感心しても特に興奮するほどの魅力を感じることはできない.
微分幾何のような分野で,ささやかでも自分のアイデアを伸ばす方が楽しいのではないか. メインストリームに身を浮かべなくても,メインストリームに流れこむ小さな流れの内に, 微分幾何の面白い問題を見つけ出すというのも,また楽しいのではないか.
数学を勉強するときにはぜひ数学史も一緒に勉強してほしいと思います. 『この概念はどうしてうまれたのか』といった歴史を知ることでより深く理解できると思う
最後の記述,このへんは私も何とかしたいと思っていて,色々考えている.

小林先生と全く関係ないが,落合先生というと日体大が何か不祥事を起こしたときに学長をしていて 謝罪会見を開いていたので,誰かと「落合先生が全国区の有名人になった」と大変不謹慎な 会話をしていたことを思い出す.

慶應の前田先生の曲面の記事だが,有名な『曲線と曲面の微分幾何』に敬意を払って, 幾何学入門を意図して書かれたらしい. 大分前に買って読んだのだが,あまり真剣に読んだというわけでもなかったため, 結局あまり頭に入っていない. 色々あって複素曲面に興味があるので,その辺を勉強するついでに読み直したいところだ.



野口先生の小林双曲性に関する記事だが,小林双曲性,名前は知っていたがどんなものなのかを今回始めて知った. 何をどう思ってこんなのを定義したのか全く分からないが,これがやばい. N が小林双曲的な場合の正則写像全体がいかなる M に対しても同程度連続になるとか衝撃の一言だ. コメントがあるが,Ascoli-Arzela が使い易くなるので強烈の一言. Ascoli-Arzela,条件が結構厳しいので面白いが(私がやっている範囲では)使いづらい定理という印象があるのだが, こういう使いやすそうな状況はあるのか,というところも面白い.

M がコンパクトな複素多様体なら小林双曲性と「整曲線 f:CM は定写像しかない」という ブロディの定理も凄まじい. タイヒミュラー空間上のタイヒミュラー距離が小林距離に一致するというロイデンの結果も, 「タイヒミュラー距離はタイヒミュラー空間上だけで定義されていたもので,いわば孤立していた」という記述を見ると, 小林擬距離の強烈さが分かるというもの. ちなみにタイヒミュラー空間は定義すら知らないが,良く聞く名前なので大事,または面白い対象なのだろうということくらいは分かっている. 野口先生の研究は代数幾何との関係がある感じのものが多いという感じだが,実際にそのあたりの話がいくつか 書かれていて,それも面白く,勉強意欲をそそる.

P34 の超笑顔の写真がまた印象的だった.

満渊さんの小林-ヒッチン対応の記事,これまた名前だけ知っていてどんなものか全く知らない話だったので,単純に楽しい. これもまた超強烈な話だった. Frankel 予想の「曲率から多様体の性質が決まる」という話,本当に意味が分からないが,微分幾何の王道っぽい強烈な予想だと思う.

何となく買ってみただけだが,名前しか知らなかった話がいくつか強烈な結果とともに解説されたいたので思っていた以上に楽しい号だった.一通りは眺めたが全く身についていない小林先生の複素幾何の本もしっかり読み直したいと思わせる内容だった.

2013年1月27日日曜日

書評:幾何学的変分問題


kazz_281さんによる簡単な書評 があったので,Twitter でも少しつぶやいたのだが私も以前読んだ感想をまとめておこう.


調和写像に向けて丁寧に書かれた本でのんびりしていて非常によい本だったことは強調したい. この本で扱っているのは幾何と解析にまたがる分野だが,双方ともにそれ程予備知識は仮定されず, しかも内容的にもそれぞれについて深い知識は必要にしないにも関わらず かなり突っ込んだ内容まで書かれているのは率直に凄いと思う.

あとで内容に触れるときにも少し書くが,変分は物理でも大事な教養で本の内容自体も解析力学に直結している. 解析力学関係の数学,特に変分を真面目に勉強してみたいと思う物理の人向けには丁度いいと思う. 当然この周辺に興味がある数学の初学者にもいい.

まず変分について. 微分法の一般化にあたる. 微分では関数の極値を取る数値を求めるのが大事な仕事になるが,「関数の関数」を考えてその「関数」の極値を与える 関数を求めるのが変分の基本的な考え方になる. これは力学だと粒子の経路を求めるのに,エネルギーが最小になる経路(関数)を求める問題にあたる. エネルギーが経路(これ自体関数)の関数になるからだ. 実際歴史的に見てもこの力学の問題が変分のはじまりだ.

第1章では実際にこの力学の問題を扱う形になっている. 本には物理的なモチベーションについては特に書かれていないが,物理の方は式を見ただけで大体分かると思う. 適宜物理の本で復習しながら読み進めると楽しいだろう. 曲線に関する話を軸に接続や共変微分が定義される. 微分幾何の基本的な重要な概念なのでここできっちり勉強しておくととても役に立つはずだ. 接続の幾何は今の超弦関係でもとても大事な話のはずだ. そちらでも大事な概念だと思うが,複素幾何を学ぶときに Chern 類の微分幾何的定義でも 曲率が出てくるので,とても大事な箇所なので丁寧に読みたい.


第2章では曲率を議論する. Riemann 多様体の基本的な対象なので,当然とても大事なところだ. 定理 2.19,Hopf-Rinow の定理など,Riemann 幾何の基本的な概念や定理も紹介されているので, Riemann 幾何入門としても使える. 2.5節で具体的に Riemann 幾何への応用が議論されるが,定理 2.24,Myers の定理はやはり強烈だ. Ricci テンソルに関する条件から多様体のコンパクト性や基本群に関する位相的な情報が出てくる. 詳しくないので大分アレだが,Ricci テンソルは曲率に関係する概念であって, 曲がり具合から位相構造が制限されるというのはなかなか意味不明で凄まじい.

第3章ではとうとう写像のエネルギーの話から調和写像に入る. 色々なベクトルバンドルとそこでの接続が出てくるのでかなり大変な章だが, 本格的な議論が始まってくるので楽しくなってくる所でもある. トポロジーなどでベクトルバンドルの一般論を学ぶ前に具体例に親しむという目的に使ってもいいだろう. 私は実際にかなり参考になった. 調和写像はこれまでの議論を具体例として含むこと,他の興味深い話題も含んでいる大事な概念であることが具体的に説明される.

最後に第4章で調和写像の存在が議論される. ここで関数解析というか解析的な議論が出てくる. 多様体上の非線型偏微分方程式に興味がある人が読むと参考になるのではないかとも思う. Holder(oにはウムラウトが付く)空間が出てくるのだが,これは楕円型正則性(elliptic regularity)でも大事になる空間で, 関係する人はきちんと勉強しておく必要がある. ごりごりの解析になるので,初読時にはさらりと流してもいいと思う.
付録も簡潔にまとまっているので他書を読むときに参考になる. 現代数学への展望も読むだけで楽しいので是非読まれたい.

2013年1月24日木曜日

書評:数学は世界を変える


詩的な文章とイメージあふれるイラストで、わたしたちが数学を学ぶ意味を説き明かす。 独創的な解説と数学への信頼にみちた入門書の古典、ついに刊行。 数学を学ぶ喜びがここにある。
との触れ込みだったので,動画作成時の参考にもしようと思って買ってみた.



不思議というか,本当に自分で困っているのだが,私としても非数学の人に気にしてほしいと思っているあたりは 話があってそういうのを世間に広めてくれていて,おそらく実際にそういう部分が 賞賛されているのは助かるというか嬉しいのだが,だからこそ逆に個人的な感慨に反するような 部分が気になってしようがないという感じだろうか. ただ,イラっとするところは「世間一般の意見」という部分ということもいくつかあるので, その辺りは言い掛かりになってしまうので,これもまた色々とアレだった.

内容面はこれから書くこととして,フレーズごとに改行されている形式面がかなり面白かった. 参考にしたい.

賞賛のコメントについてはは他のところで色々あるので,細かいところで気になった部分を記録しておこう.

P37
全ての長方形の面積 A を知るには 高さ a と底辺 b を掛け算しないといけない という場合には, それは代数学だ.
面積の公式,これ,代数か?

p39
数学を知れば知るほど 生活は楽になる.
個人的な感慨としては,世間との意識の乖離がどんどん激しくなって,生活は苦しくなっていく. 実に辛い.

P41
「でも戦争屋は, 数学をもとにした近代兵器を使っているじゃないか. ヒトラーが成功したのは科学のせいで, 科学が良い生活に導いてくれることはありえない.」
上でも書いた「世間一般の意見」という部分を一つ抜いてみる. これが猛烈に頭に来るが,それはそれとしてこの気が狂ったような文章,見るだけでつらい.

P49
そこには数学者がいる. 「純粋」数学者ではない. … 4階の数学者は, 過去の古典数学を 3階の「純粋」科学者の科学的発見に当てはめる. 彼らは 科学的データを採り上げ, 持っている数学的道具を使って それを整理して研究する.
この「純粋でない数学者」なる存在,何なのか分からない. いわゆる理論物理学者みたいな人達を指しているような感じはするが,何か違う. もやもやして気持ち悪い.

今感想を書きつつ本を読み返してもいるが,段々つらくなってきた.

P50
まさに彼らは, 屋根裏部屋をシェアしている現代芸術家とお似合いだ!
私の感覚だと芸術家とやらと数学者,あまり相性いいように思えない. 正確に言えば,数学者が芸術関係の話を芸術家とすることはできるが, 芸術家と数学関係の話をすることはできそうにないとでもいう感じ. 一方通行というか何というか,私の心に悲しみが去来する.

P52
「結局のところ 科学は善悪の判断がつかず 非道徳的だ」
「世間一般の意見」の方だが,涙を禁じ得ない.

つらい.

Twitter でも呟いたが,いわゆる啓蒙書の類,参考にしようと読むたび心に深い傷を負うの,実につらい. そもそも内容が酷い本が多いせいでもあるが,上でも多少書いたように, 「世間一般の意見」を強制的に目にさせられる「言い掛かり」の部分もかなりあることを改めて意識した.

既に書評でも何でもなくなっているし酷く中途半端な記述にしかなっていないがつらいので一旦ここで打ち切る. 心が癒えたら,また追記しよう.


追記:2013/1/27

Twitter で kyon_math さんから次のようなご教示を頂いた:これ と これ. 一応文章も引用しておこう.
これ,相当に訳がひどいのでは. 「当てはめる」は当然「応用する」だし,「純粋でない数学者」は明らかに「応用数学者」だ. 「全ての長方形の…」の部分はすでに日本語として破綻している.
リリアン・リーパーさんは有名なガロアの評伝の作者ですね. そんなにひどいとは思えません(私は読んでませんが). 意味不明な箇所は翻訳の不手際によるものも多いのではと思います. ワイルの「古典群」フルトンの「代数的位相幾何学」も原文読んだ方が分かりやすい箇所が多い.
翻訳の本はいくつか持っているが,あまりまじめに読んだ本がない. Feynman の本など「調子がいい」本は原著を読まないと面白くないというし, 中高生ならともかく,英語が原語の本はやはり原著を読むべきか.

全く関係ない話だが,フランス人はときどき重要な文献をフランス語で書くので 関連する分野の人は非常に困ると聞く. 私はフランス語で困ったことは無いが,確率の論文を読んでいたときに 参考書にロシア語を引かれていて困ったことがある. 論文自体は結果さえ知っていれば良くて,とりあえずそこまで真剣に読まなくても よかったので大きな問題にはならなかったが,読む必要が出てきたら 割と本気で困る.