2013年2月2日土曜日

Amazon の『哲学的な何か、あと科学とか』の書評に涙を禁じ得ない

『哲学的な何か、あと科学とか』の書評に対するコメント に涙を禁じ得ないため,少しコメントしたい.


下記のコメントは凄まじい異常さを感じる. 「意味が分からない」といいたいのはこちらの方だ.
>>(中略)したがって、不完全性定理は適用できません。(1)>>哲学から最も遠い態度です。(2)
と書いてらっしゃいますが、意味が分かりません。 数学の話をされているのですか?それとも、哲学の話をされているのですか?
数学の話をされているなら、哲学は関係ありません。(2)は不思議な結論です。 哲学の話をされているなら、不完全性定理は基本的な思考実験から簡単に説明出来ます。数学は必要ありません。故に、(1)はこれまた不思議な結論です。
数学の本質は計算にあるのではなく、証明の厳密さとその美しさにあります。 これは科学や哲学、”全ての体系”に反映されるべき美しい特質です。 しかし、あなたが(1)(2)で言われている事はダブルスタンダードに過ぎません。
厳密さを求めるばかりで、あなたにはエレガントさが足りません。 失礼ですが、もう一度算数からやり直された方が宜しいかと存じます。
細かく分けてつっこみたい.
数学の話をされているなら、哲学は関係ありません。(2)は不思議な結論です。 哲学の話をされているなら、不完全性定理は基本的な思考実験から簡単に説明出来ます。数学は必要ありません。故に、(1)はこれまた不思議な結論です。
何をどう言ったらいいか分からないほど,はじめからひどい. 前者は意味が分からなすぎてどうコメントしたらいいか分からないレベルだ. 後者についても滅茶苦茶すぎる. 思考実験から分かるとかいう哲学における不完全性定理というのは何なのだ. この本を読んでいないから分からないが,批判された方が言っているのはそうした話を混同したこの本のふざけた暴論だろう.
数学の本質は計算にあるのではなく、証明の厳密さとその美しさにあります。
あくまで現代から見れば,という話だが,数学が「厳密」になったのはこの 100-200 年程度だ.いわゆる微積分の厳密化としての Cauchy の ϵ-δ 論法などは有名な話だろう. それ以前の 2000 年近くの「数学」は数学の本質を外れた行いだったとでもいうつもりか. 大体からしてなぜ「計算」なる単語が出てくるのかもまるで分からない.
数学の本質は計算にあるのではなく、証明の厳密さとその美しさにあります。 これは科学や哲学、”全ての体系”に反映されるべき美しい特質です。
Boltzman は「エレガンスなど仕立屋と靴屋に任せておけばいい」といったそうだが, 色々な人がいて色々な思いで研究している. 「証明の美しさ」で何を指すかも時と場合や人によって変わるだろう. 例えば「大道具を準備して快刀乱麻を断つように鮮やかに切り捨てていく」証明もいいが, 「素朴な道具立てで頑張る」証明も味があるし,「何がなんだか分からないがとにかく力づくで示した」証明もまた味がある. まともに数学なりなんなりを学んだことのない馬鹿の妄言と切って捨ててしまってよいだろう.
厳密さを求めるばかりで、あなたにはエレガントさが足りません。 失礼ですが、もう一度算数からやり直された方が宜しいかと存じます。
妄言もいい加減にしろと言いたい. まず真っ先に学ぶとるべきことは厳密さだ. そこをきちんと身につけるだけでも気が遠くなるほど大変だというのに何を言っているのだ,この馬鹿は. エレガントさというのは何か,定義してみてほしい. 算数を馬鹿にしきったようなこの一文自体怒りに震えるが,算数から学び直すべき馬鹿はこのコメント主の方だ.

他の高評価の書評にも共通する話だが,もう一つのコメントの方は別のことを考えさせられる.
私は飲茶さんのWEBサイトを閲覧したばかりの、量子力学について何も知らない者です。 あなたの言っている事は一般的にみて正しいと思います。 そして、その分野に関する正当性もある程度理解できます。 だけど、飲茶さんのライティングは、私の心に響きます。 そして、あなたがおっしゃられている事なんて、どうでもよくなるくらいなんです。 飲茶さんの本を読む人の多くは、「1+1=2」になる事なんて、どうでもよくなっちゃう人が多いと思います。 すみません、ただの娯楽レベルですね^^ そもそも、それを問いただしたら、間違いだらけの本ばかりが既に出版され続けているじゃないですか^^
あなたの言っている事は一般的にみて正しいと思います。 そして、その分野に関する正当性もある程度理解できます。 だけど、飲茶さんのライティングは、私の心に響きます。 そして、あなたがおっしゃられている事なんて、どうでもよくなるくらいなんです。
これだ. 「心に響く」というのがとても強烈. 「理解と納得」というのが時々話題にのぼるが,理解せずに「納得」されてしまうと非常につらい. 「素人」が「納得」してしまうと理解が止まることが多いらしいことを多数の事例で確認し, またそれはかなり危険なことなので,怖い.
飲茶さんの本を読む人の多くは、「1+1=2」になる事なんて、どうでもよくなっちゃう人が多いと思います。 すみません、ただの娯楽レベルですね^^ そもそも、それを問いただしたら、間違いだらけの本ばかりが既に出版され続けているじゃないですか^^
娯楽レベルというのは一向に構わないし,それでいいと思うのだが,明らかにおかしい(であろう)本で「納得」されても困る.
そもそも、それを問いただしたら、間違いだらけの本ばかりが既に出版され続けているじゃないですか^^
色々言いたいことはあるのだが,この人,間違いだらけの本を進んで読みたいと思っているのだろうか. できれば「分かりやすくしかも正確な本を読みたい」とは思わず,とにかく納得できて気分が良くなる本なら何でもいいのだろうか.

考え直すだけでしんどくなってきたので今回はここで止めるが,こう色々なことを考えさせられる 地獄のようなコメントだった.

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