2013年5月2日木曜日

数学が役に立つ状況を真剣に検討したところ深い悲しみに包まれた


数学が何の役に立つかとはよく言われるし, この間も記事にした. 社会とか世間の役に立つか, というのがよくある (下らない) 回答だが, 質問者にとって何の役に立つかという疑問であって的外れでは, という話もよくある. そうなると個々人の状況にもよるので一般には何ともいえないので, 個別に論じる必要がある. その辺を適当に書いてみた. この辺 からはじまる.
数学が何の役に立つかということについて真面目にいうなら, 状況によるとしか言えない. 例えば適当な恋愛対象にモテたいと思ったとしよう. 基本的には数学がモテるのに役に立つかと言われたら, むしろ悪影響しか与えないと思っていい. この辺は加藤先生などを参照してほしい 
@phasetr ただし, 何かの間違いで福山雅治のようなアレな人が何かの間違いで物理学科に進学してしまい何かの間違いで真剣に物理を学んでしまい果ては准教授になってしまうなどの不幸が重なったとしよう. そしてさらなる悲劇としてそのような異常者に恋をしてしまったとしよう 
@phasetr ガリレオを見ていないので湯川学御大の嗜好は分からないが, 物理とか数学に興味なさそうな人には何の興味も示さなそうな異常者の趣があるので, こういう場合には数学が役に立つ可能性があるが, 今のケースはむしろ物理をやった方がいい 
@phasetr とはいえ, 色々な人がいるので物理学科や数学科の人間といえど全員が全員異常者というわけでもなく, 社会性に溢れる人間もいるし, 物理とかやってそうな人はちょっと, と言いそうなのもいる. したがって状況によるとしか言えない 
@phasetr 他にも明日にも死にそうな母を助けたい, とかいう状況でKasparovのKK theoryが何の役に立つ, とか言われてもかなり困るし, 結局悲しみしか呼ばないことが分かる
今日も社会は悲しい.

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