2013年12月25日水曜日

個性的な数学・物理の教材を作って適当に狼藉を働きまくりたい

kyon_math さんが面白いことを言っていたので記録しておく.
本書いてると 「あ, コレを証明するためには, アレが必要なのか. そうするとアレも要るな. あ〜〜全部書き換えだぁ」 てなことになって, 結局古典的名著の構成は神という結論に.
@kyon_math 論理的に必要な順序, 歴史的な順序, 自分の頭の中での理解の順序がみんな違いますからね. 「自分の頭の中」がスパゲッティだから, 最初はそれが前に出て, 直すとますます悪くなる.
@kyon_math 自分にとっての頭の中の順番で書いていく本, 個性的で面白いのではないでしょうか. 「こう考えていくと次の命題が必要になることが分かる」ここから「今はこれを認めて進もう」となるか「なのでこれを示そう」と行くか, 後者はそこからまたさらに降下していくかとか, 個性が出る
上記の発言を読んで, 江沢先生の『理科が危ない 明日のために』の記述を思い出した.

すぐにどこにあるか見つけられなかったのだが, 大意は次の通り.
昔読んだ本で延々とある議論が進んだあと「ここまで来れば別の方針も考えられる」と言って今までの方針とは全く別の方針で議論をはじめた. 原稿を破り捨てて書き直しても良さそうなものを敢えて残して別の方針での議論を続ける. これが科学というものか, と思った.
普通教科書や論文は整理されきった記述しか残らず, 著者の苦闘の印などはなかなか見えない. もちろん専門的に学んだあとで見れば苦労が分かるということはあるが, やはり初学者では難しい. そうした苦闘の後をそのまま残す, 等身大の著者を見せてくれる文献はもっとあっていいと思う. 完璧主義者の人もいるだろうし, そうした記述を「手抜き」といって怒る読者もいるだろう. ただ, 普通の本, 定評ある本はたくさんあるのだから, 余程革命的な大発展があって基礎が大きく書き換えられたとかいう事情があるならともかく, 院レベルのゴリゴリの専門書ならともかく, その辺の教科書でそうした個性の輝きを見ることは難しい.

丁度こういう方面での間隙を埋める方向で色々考えている. 反例に関する DVD を出したのもこうした「趣味」と関係している. 教官が「冒険」するのもなかなか難しいだろうから, その辺の市民として適当に狼藉を働きまくりたい.

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