2013年2月19日火曜日

一数理物理学徒の数学 (または勉学) への姿勢についての雑感


参照をつけるかどうか迷ったのだが, 一応つけておく. これ や これ を見て思ったことを Twitter でも呟いたのだが, こちらにもまとめておきたい. 私自身物理から数学に行った上, 純粋な数学の人間でも純粋な物理の人間でもなく, 今一つ正体不明な「数理物理学専攻」というところに自分の基盤を置いているつもりなので微妙なところが色々あるが, それを含めて色々と. 数学に限らず, ノーベル賞取ったとかいう人間でもない限り, 自分のスタンスのようなものを明らかにする人はいない気がするし, 興味がいる人はいるだろうから, とりあえず自分のを晒しておく感じ.

当人にも私の該当ツイートは見られているので大丈夫だと思いたい.
だから私は人より数学ができること、人より勝ること、上に立つこと、とにかくこれにこだわるよ。 純粋な数学徒からしたら「わけがわからない」姿勢らしいけど、そんなもの知るもんか。 私の人生なんだ。誰にも文句は言わせない。否定させない。絶対に。 
「高貴な精神」で数学をやりたい人は好きにすればいい。それだって立派な姿勢だ。でも私はそうじゃないんだ。
そして, とりあえずそのときに私が呟いたことは次の通り.
https://twitter.com/ranoiaru/status/303154840073273347 上にはいくらでもいるからむしろ自分が辛くなるのでは感ある 
@phasetr 私も一応受験失敗的なアレなので気持ちは分からんでもないとは思っているし、 実際学部二年くらいまではそういうところはそれなりにあった感もあるが、院でどうでも良くなった感はある 
@phasetr 一方、分野的に人がいないということはあれ、曲がりなりにも世界で誰も手をつけていないことをやったので、 その辺でそれなりの自信や自負ができたから、というところがなきにしもあらず感もある 
@phasetr その上でこれもはっきり言っておきたいが、明らかに世界どころか人類トップの人間を発見しやすく接しやすく、 かつ同級生にすら存在する可能性が高い東大やら京大で学生生活送れた人は本当に羨ましい。いわゆる進学校の中高もその辺は本当に羨ましい 
@phasetr そのうちブログで書評書きたいが、江沢先生の本で旧制高校のようにエリートだけを集めても その中でさらに周囲の能力に圧倒されて自分を見失う者もいたという記述があった。そこにいたら自分も潰されたかもしれないが、 それでもそういうところに行ってみたかったというのはある 
数学まなびはじめで同級生や先輩後輩に化物みたいな数学者がたくさんいるとか見るだに羨ましい。 小林先生の同級に河東先生やら中島先生いるやら、戦慄するし羨ましい
これは彼の見解へのそのときの直接の応答だが, 後で思ったことは, 彼の見解への違和感 (のようなもの) は私の基本姿勢が「俺より強い奴に会いに行く」に起因するのではないか, ということだ. 同世代のストII好きには無条件に同意してもらえるものと確信しているが, それはともかく. 上に書いた通り, 東大や京大など自分より遥かに優秀な人間ばかりの環境にいたら, その中で自分を見失って潰れていたかもしれない. それでもその環境を体験したかったという気持は強い. ちなみに, 実際東大数理の OB で齋藤毅先生と同級の人に会ったことがあるのだが, その方は「あんなのが同級生にいたらやっていられるかという気分になる」と言って研究者になるのは諦めたそうだ. それを聞いたとき, 同級生に (後に) 世界トップクラスの研究者になる人間がいる環境というのは本当に羨ましいと思ったものだ.

それはそれとして, 私の数学に対する姿勢というか憧れというか, そういうのを思うと, 「天才や世界一流の人達が見ている世界はどんなものだろう. どんな風に世界を見ているのだろう」というところに基礎があるようだ. 学部と修士の 6 年間でそういう世界が見られたという気は全くしないが, ただ, (修士在学時という条件下で) 世界の知の最先端は見てきたという感覚はある. その点では子供の頃に胸をときめかせていた自分に胸を張って面白かったと言ってあげられる自信がある.

「数理物理」というのはさておき, 子供の頃から数学ができる人間が世界で一番格好いいと思っている. この意味で (世間的?な意味で) 格好良く, または可愛くなろうとしている中高生諸氏の気持は良く分かるつもりではいる. 私の場合, 格好いいと思うところの基準が世間と大幅にずれていたというだけのことだ.

時々呟いているが, (大学) 受験のときとりあえず物理学科以外への進学は全く考えていなかったのだが, 数学が一番駄目で物理が次に駄目だったので若干途方に暮れたところはある. 「数学は天才がするものだが, 物理は何となく凡人でもできることありそう」と思っていた. 実際はどうなのか良く知らないし, 今となっては興味もないのだが. あと, これについては, 大学に入って数学の教官で逆のことを言っている人がいて「凡人の自分は数学に行こうと思って数学に進んだ」といっている人がいて面白かった.

折角なのでここでも書いておきたいのだが, 高校というか受験での得意不得意で進む学科を決めることはない, ということは言っておきたい. 今思うとひどい勉強の仕方ではあったが, 高校時代はテスト前以外は数学の勉強しかしていなかったくらい数学の勉強ばかりしていたが, それでも一番できなかったのは致命的にアレなのだろうな, と思って数学科に進学するのは始めから考えていなかった. 大学に入っていざ数学の講義となったら, できるかはともかく, かなり波長が合うような感じがした. 実際に院で数学に進学する程度には「数学ができる」ようになったので, あまり高校の頃の得意不得意は考えなくていい印象. 私の個人的な感覚としてあくまで大学は勉学に打ち込むところなので, 興味がない所に行くと精神的につらすぎる感がある. 数学がしたかったのに工学部に進んでしまったために場違い感を覚えてつらかったという, 『数学まなびはじめ』での竹崎先生の言葉も参考にしてほしい.


あまり一方的にブログにだけ書くのもどうか, という気はするのだが, 彼は周囲に数学が好きな人があまり周囲にいないようで, 孤独でつらいというようなことを時々漏らしている. ついでに昨日の記事で紹介したツイート主も大体同じような感じなのだろう. 色々状況は違うので何とも言えない部分があるが, これに関しては, 物理学科内で一人数学科ベースの数学をしていても特につらいとも何とも思っていなかったので, 何となくその辺の精神性も違うというか, 無駄に私がタフかという感じはある. 物理学科に進学したにも関わらず, 数学ができるのが一番格好いいという感性を持っていたので, そこで異常者感を発揮していたのではないか説もある.

あと, 念のために書いておくと物理学科でも「数学は何の役に立つの」という話はある. よく言われるのは微分方程式の解の存在定理だ. (これについては宇宙論をやっていた友人が読んでいる論文について先輩に質問したら「その方程式, 解がないこと分かってるから読んでも意味ないよ」みたいなことを言われた, という話を聞いたので, その範囲でも全く意味がないということはないと思っているが, 多少別件ではある. ) こういう話は結構平然と出てくるので, 物理と数学が近いというこれまた時々出てくる話には非常に違和感がある. 元ネタレベルで共通する部分は極めて多いと思うが, 少なくとも現代では数学者, 物理学者の意識が大分違うという感覚がある. 私の見立てでは数理物理学者はこれともさらに違う (変な) ところに意識があり, 私はそこに帰属意識を持つ. 具体的に何, と言われると本当に具体的な問題を持ってくるしかなくて困るのだが, 何か違う.

全くの別件だが, 学生時代「数学が何の役に立つ」と (物理学科の学生達ですら) 言っていたので, 頭に来て応用数学や数理工学の知見について調べていたことがある. 今でも適宜耳にはさんだりはするが, 調べれば調べるほど「こんなことも思いつかない自分の方が役立たずだ」という感覚に襲われ, 精神衛生上非常に良くなかったことを付記して終わりたい.

何が言いたいのかとか自分でもよく分からないが, 商業用の文章でもないし許されるだろうということで.

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